松治郎の舗の歴史

大正元年創業 はちみつ屋

「松治郎の舗」は、大正元年創業の老舗養蜂園直営のはちみつ専門店として平成2年にオープンいたしました。「松治郎の舗」は日本養蜂業の先駆者でもある創業者・水谷松治郎の名からとりました。



1. 日本における養蜂の草分け

大正元年創業の養蜂園

大正元年(1912年)、三重県にて初代・水谷松治郎が創業。以来、百年という長い歴史をみつばちと共に生きてきた水谷養蜂園。

初代当主である松治郎は、わずかなみつばちを手に入れ育てるうちに、彼らの営みが人間のみならず、地球上に存在するあらゆる生物にかけがえのない恩恵をもたらすことに深く心を打たれました。

平成24年に百周年を迎えた水谷養蜂園は、創始者・松治郎の思いを受け継ぎ、より多くの方々に養蜂の素晴らしさを伝えていきたいと考えています。


2. わずか3箱のみつばちから

百年の歴史が始まった

創業者である水谷松治郎は、当時養蜂がさかんだった岐阜からわずか3箱の西洋みつばちを譲り受けました。

松治郎はみつばちが集めるはちみつのおいしさに感動し、家族や近隣の人たちが喜ぶ姿を見て創業を決意。

大正元年、花の咲く時期に合わせてみつばちと全国を旅する「転地養蜂」を取り入れ、本格的な養蜂業をスタートさせました。


3. 近代養蜂のフロンティア

花を求めて南から北へ、先端の転地養蜂の技術

転地養蜂の技術をさらに高め、近代養蜂の基礎を築き上げたのが二代目・清一。昭和3年、正式に「水谷兄弟養蜂場」を設立し、試行錯誤を繰り返しながら独自の転地養蜂を確立。

花咲く季節に合わせて北から南へ移動する際のみつばちの安全な運搬方法や、はちみつの自然なおいしさや栄養素を守る技術などを次々に開発しました。

「蜂の神様」と呼ばれるほどみつばちの生態に精通していた清一は後継者の育成にも尽力し、養蜂業の発展に大きく貢献。

昭和14年には日本養蜂連盟を結成し、昭和40年、全国に先駆けてイチゴ(ビニールハウス栽培)の受粉にミツバチを利用し成功した等さまざまな功績が高く評価され、平成3年、勲五等瑞寶賞を授与するに至りました。


4. 水谷ブランドの登場

女性ならではの感性で花開く、新しい蜂蜜の世界

三代目・水谷太美の時代に、水谷養蜂園の事業は大きな転換期を迎えます。戦後復興から高度成長期を経て、人々が豊かさや夢を追い求め始めたとき、水谷太美は女性ならではの鋭い感性で世の中の動きを敏感にキャッチ。

従来のはちみつの概念をくつがえす、斬新で夢のあるアイデアを次々と形にし、テレビや新聞、雑誌などのメディアで一躍話題に。はちみつの素晴らしさを広く知らしめ、養蜂の新たな可能性を拡げました。

昭和32年、当時薬代わりにごくわずか消費されている程度だったはちみつを瓶詰めにして売るという新たな試みに挑戦します。

転地養蜂の先駆者として長年培ったノウハウから、日本で初めて花の種類別にはちみつを売り出す。

斬新なパッケージや広告、TV出演などで一躍話題に。女性ならではの柔軟な発想で次々に時代を先取りした戦略を展開。


5. 「松治郎の舗」

はちみつのアンテナショップ、平成2年にオープン

みつばちと共に生きる

環境破壊や宅地開発などによって花畑が減少するとみつばちは生きていけず、自然の生態系も大きく崩れてしまいます。みつばちと養蜂を守り育てていくことが、未来の豊かな自然を守ることにつながる。養蜂を通じた自然保護活動に今後ますます力を入れていきたいと考えています。

「はちみつの魅力を少しでも多くの方に伝えたい・・・」松治郎の舗は、はちみつのアンテナショップとして平成2年にオープンしました。

「はちみつあめ・はちみつ最中アイス・はちみつ玉石鹸」などの新商品の開発だけでなく、はちみつ料理講座、セミナー、イベントなどにおける講師活動など、様々な取組みをしています。おかげさまで、テレビ・新聞雑誌など、たくさんのメディアに取り上げていただきました。

さらに、近年では蜜源である花を育てるプロジェクトを実施。休耕田を借りるなどして多種多様な花を植える活動をしながら、蜜源を守るための啓蒙活動を行なっています。

1匹のミツバチが一生かけて集めてくるハチミツはほんのティースプーン1杯。そんなミツバチの努力の結晶でもあるハチミツを、1滴たりとも無駄にならないよう皆さんに伝えていくだけでなく、今後も地域振興のためのさまざまな活動やイベントなど、企業としての社会貢献にも尽力していきたいと思います。

セミナー講演

はちみつ料理教室

はちみつ講習会

東海テレビ「西川きよしのご縁です!」

CBCテレビ「晴れどきドキ晴れ」

地域の皆様への蜂場見学の様子